「なろう」読者に薦める司馬遼太郎

前島賢の本棚晒し」で近々「司馬遼太郎ラノベ(キリッ」という記事を書こうと思っていたら、eBookjapanやAmazonで『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』の半額セールが行われており、これがいつまで続くか分からないと言うことで、急遽、ブログで書くことにした。いずれ『本棚晒し』でちゃんと司馬作品を取り上げるための草稿だと思っていただきたい。

 

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というわけで「なろう」小説の読者は司馬遼太郎を読もう!

というか司馬遼太郎はなろう小説!

(……司馬遼太郎先生のファンには「ふざけんな!」と思われるかもしれませんが、新しい読者を獲得するため、大目に見ていただければ幸いです)

というわけで以下、「なろう」小説と司馬遼太郎歴史小説の共通点をあげつつ、娯楽小説としての司馬遼太郎小説、歴史小説の魅力を紹介したい。

1.俺TUEEE小説で主人公ageage小説

無敵のヒーローに感情移入/同一化し、その活躍を楽しむ、というのが「俺TUEEE」ラノベの楽しみ方のひとつだが、信長とか秀吉とかいった英雄となってあたかも自分が歴史を動かしていくような楽しみ方を味わえる点で、歴史小説というのは俺TUEEEものの要素を多分に持っている。

なかでも、司馬遼太郎小説がスゴイのは、登場人物の褒め方である。
「○○であるという点において、○○という人間は、日本の歴史においても空前にして絶後であっただろう」とか「この時、○○という男がいなければ後の歴史はまったく異なったものになっていただろう」とか「○○という才能をもった人間は、一民族の千年の歴史のなかに二、三人も現れればいいほうであって、日本史においては○○をのぞけばたったひとりしかいない。○○である」とか(全部うろおぼえである。ご了承いただきたい)、褒め方の主語がマジでデケェ。デカすぎる……!

で、小説であるからには、当然登場人物に感情移入するわけだが、読んでいるうちに、まるで自分が司馬遼太郎に褒められているような気になってくるのだ。

「空前にして絶後」とか「日本史上類をみない」とか「世界史的に見ても稀有な才能」とか「彼という男をもてたことはこの国の歴史にとって幸い」とか。これが麻薬的に気持ちいい。マジで自分が時代を動かした英雄か維新志士になったかのような気分が味わえる。もちろんそれは気のせいなので、読んだ勢いで友人に「日本のこれから」とか「今の日本社会は幕末(戦国)と一緒だ。俺たちは志士だ」とか語ったりしてはいけない。いけないったらいけない。あなたの黒歴史にあらたなる一ページが刻まれること請け合いである。

2.基本の世界観は一緒

なろう小説というのは基本トラックにひかれて死んで神様からチート能力をもらって異世界に生まれ変わって奴隷少女を買って冒険者ギルドに所属して……と基本の世界観や導入を共通化することによって抜群リーダビリティを確保しているとされる。なのでなろう小説を読めば読むほど読み飛ばしてOKなところが増え、爆速で読めるようになっていくという。

司馬遼太郎……というか歴史小説も同じである。たとえば戦国時代であれば、信長が今川家倒して斎藤家倒して武田家倒して明智にやられて、秀吉が明智やっつけて関白になって死んで関ヶ原で豊臣がオワコン化して家康が江戸幕府開いて……という基本の世界観はどれも一緒。だから一度、大まかな流れがつかめれば、どんどん説明を読み飛ばせるようになっていく。「ああ、こっちの家康は腹黒キャラだけど、こっちの家康はわりと正義の人なのね……」みたいな作品間の差異やアレンジを楽しめるようになるというのも、なろう小説とよく似てる。

司馬遼太郎は、そんな史実を原作とする歴史小説という二次創作群のなかでも超々々々々大手サークルみたいな存在であって、史実と並ぶ第二の原作レベルの存在感を得てしまっている書き手である。だから原作厨……じゃなかった真面目に歴史を勉強している人は、原作(史実)と二次創作(司馬歴史小説)と混同すんなと怒るわけだが、とにかく司馬遼太郎を読んでおくと、歴史小説というジャンルそのものがものすごく読みやすくなるのは確かだ。

3.基本連載小説

「なろう小説」は基本的に毎日更新することが望ましいとされているが、司馬遼太郎の作品も多くが新聞連載小説であり、望ましいどころか「毎日更新がマスト」という環境で描かれた。
そんなわけで「なろう小説」と同じく、その文体は作家にとって書きやすく、読者にとっても読みやすいものである。慣れてくると、ほんと、爆速で読める。

連載ということで共通点は多い。「なろう小説」では、この毎日更新というノルマを果たすべく、しばしばこれまでのあらすじを繰り返し繰り返し語るとか、些細な世界観の設定をながなが語り続けるといったページ稼ぎの手法がしばしば見られるが、おなじことは司馬遼太郎先生もしょっちゅうやっている。そして、この余談とか蛇足がめっちゃ面白い。

同じく、司馬作品には、しばしば伏線が無視されるとか、最初の構成からずれていくという問題があり、有名な伏線ぶっちの例としては、『坂の上の雲』の、「かれは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、少将として出征し、 満州の野において悽惨きわまりない騎兵戦を連闘しつつかろうじて敵をやぶった。」等があるが、「なろう小説」の読者ならこの程度は慣れっこであろう。

そうした脱線や予定違いがあってこその司馬作品であるわけで、その意味で「なろう読者」は司馬遼太郎の読者になるための訓練がすでに完了している。是非「司馬先生、いつまで火薬のウンチク続くんですか?」とか「司馬先生、あの、主人公誰でしたっけ、この話」とか、それを積極的に楽しんでいただきたい。

4.書き手と読み手の距離の近さ

「なろう作家」はしばしば感想欄などで読者と交流を繰り広げたりしている。
だが、司馬遼太郎小説はもっとすごいぞ。というのも先生の小説は「作者による一人称」という独特な形式で書かれており、しょっちゅう、「筆者はこの物語をどこから語ればいいか迷っている」みたいなぶっちゃけが入ったり、「この間、書いたことについて、読者からこれこれという指摘を頂いた」とか作中で補足や訂正を始めたりする。
その最たるものが名物、司馬タクシー。「筆者は、この戦いのあった○○にタクシーで訪れた」とか言って、タクシーの運転手さんと雑談を始めたりするのだ。
読者との距離感を巧みにコントロールして、語り手を身近に感じさせるという手法において、司馬遼太郎は「なろう」を先取りしていたのかもしれない(大嘘)。

5.司馬遼太郎はいいぞ

司馬遼太郎はしばしば偉い人が「人生の必読書」としてあげていたり「司馬史観」なんて言葉もあったりして、難しそうと敬遠している若い読者もいるかもしれないが、基本は娯楽連載小説である。だから是非、ライトノベル読者、なろう小説読者の皆さんも、「史実」を原作に書かれた「俺TUEEE二次創作連載小説」として司馬遼太郎先生の歴史小説に触れてみてほしい(副次的効果として、年上のおじさんとの話題ができるというものもある。ほんと、ちょっとビビるぐらいおじさんたち司馬遼太郎好きだから。多分、我々にとっての『ガンダム』ポジション)。

で、どれから読めばいいのよって話だが、現在、半額になっている本だと、幕末/維新/近代という流れで、比較的巻数の少ない『燃えよ剣』からはじめて、

竜馬がゆく』→『翔ぶが如く』→『坂の上の雲

と読み進めていくのがオススメだろうか。

あるいは半額になってないけど、戦国時代の方が好き、というのであれば、

国盗り物語』→『新史 太閤記』→『関ヶ原』→『城塞』

と、信長・秀吉・家康による天下統一までの流れを追ってみるというのはどうだろう?

あるいは『ガルパン』おじさんであれば、戦車兵・福田が、日本戦車をヤスリで削ったりするエッセイ集『歴史と視点』あたりからでもよいかもしれぬ。

まあ、とりあえず今、半額になってる分は全部買っておいて損はない。

司馬遼太郎はいいぞ。

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