映画『ジャガイモは火星でも最強だった件』……じゃなくて『オデッセイ』見てきた。

 というわけで映画版『火星の人』こと『オデッセイ』見てきた。

 すでに原作については、こんな感じで、何度かツイートしたとおり。

 

 詳しい話はリンク先でのebookJapanでの書評を読んでほしいけれど、とにかく軽妙な語り口と尽きせぬユーモアセンスでもっとすさまじいリーダビリティを誇り、にもかかわらずきっちりハードSFしているという大変素晴らしい作品だ。「なろう」のNAISEIものが好きな人には特にお勧めしたい。

 さて、で映画版。オデッセイなんてよくわからん邦題を付けられた上、監督がリドリー・スコットと聞いて原作のユーモアがどこまでちゃんと再現されているか……ヘタしたらシリアス一辺倒のサバイバルームービーとかになっちゃってないか……と少しだけ心配だったのだが、そんなことはまったくなく。

 マット・デイモンが演じるマーク・ワトニーは、ちゃんとマーク・ワトニーでした。
 監督リドリー・スコットが、前作『エクソダス』でも見せてくれた、そこにあるべきものは全部作るし、全部撮るというガチさは今作でも健在。徹底して本気に、リアルに再現された「火星」だからこそ、そこでのワトニーの底知れぬポジティヴさもまた引き立つ。やっぱり「火星にひとり取り残されて、音楽といえば船長が残していったディスコ・ミュージックばっかり」という最高にバカバカしい感じはやっぱ映像と音楽があってこそですね。ほんと笑えます。ディスコ!

 そして宇宙船とあとクライマックスのシーンね。あそこは絶対映像で見たら面白いだろうなぁと思っていただけに、「これが見たかったんだ」というものを見せてもらいました。
 あとは打ち上げ管制。私は"Give me Go or No go for launch.(各部署、打ち上げの可否を報告せよ)""Go""Go""Go flight"...という一連の発射シークエンスを聞くだけで涙腺がもろくなる病気にかかっているのですが、そんなシーンが何回もあって最高でした。"We are Go for launch!!"

 宇宙飛行士として科学者として技術者として組織人として、登場人物たちがただひたすらに「ワトニー宇宙飛行士の生還」というひとつの目標を目指してがんばる姿を余計な不純物一切無しで描く宇宙と科学の物語。
 そういうのが好きなら、間違いなくお腹いっぱいになれる、大変、よい映画でした、はい。

amzn.to

www.ebookjapan.jp

 

 

 

『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。

ライトノベルにおける異世界ファンタジーの代表作といえば水野良ロードス島戦記』だろう……。

 といったような文章を、僕はこれまでいろんなところで書いた記憶がある。

 なぜ、では僕は「ライトノベルにおけるファンタジーの代表作」でなく「ライトノベルにおける異世界ファンタジーの代表作」と書いてきたか。

ファンタジーには大きく分けてふたつの系譜があるとされる(このへん、僕も理解が曖昧なところがあるので、識者がこれを読まれていたら補足していただけると嬉しい)。

・私たちの住む現代社会を舞台に、そこに隠れて存在する魔法や妖精、不思議や奇跡といったものを描いた、たとえば『モモ』のような児童文学や『崖の上のポニョ』や「魔法少女もの」のアニメといった「エブリデイ・マジック」「ロー・ファンタジー」

・現代とは遠く隔たった、全く別の異世界を舞台にした、たとえば『指輪物語』や『ゲド戦記』のような「ハイ・ファンタジー」

のふたつだ。

ロードス島戦記』を「異世界ファンタジー」と呼ぶ時、僕はこの語をほぼ「ハイ・ファンタジー」とイコールの意味で使っていた。
ロードス島戦記』は、『メリー・ポピンズ』や『魔女の宅急便』みたいな方の私たちの世界が舞台のファンタジーでなくて、『指輪物語』や『ケド戦記』や『ドラゴンクエスト』みたいな方の異世界が舞台のファンタジーの、ライトノベルにおける代表作です、という意味で。

しかし。

ロードス島戦記』は「異世界ファンタジーではない」と考えている人が少なからずいるらしい、というのを本日、ふとしたことで気付かされることになった。
詳しくはこちらのtoggetterをご覧頂きたい。

togetter.com


そうした方たちの定義によれば、

・「主人公が現代(ないしは元いた世界)から別の異世界にいくファンタジー」

が「異世界ファンタジー」なのであって、『ロードス島戦記』のような、元々異世界で生まれた人たちが生まれた異世界で冒険するファンタジーというのは(パーンやディードリットたちにとってロードス島フォーセリアは異世界でなく、自分たちの生まれ育った世界なので)、ただの「ファンタジー」ということになるらしい。

つまり、

・「指輪物語」「ゲド戦記」「ロードス島戦記」「ルナル・サーガ」「スレイヤーズ!」は「ファンタジー」。

・「ナルニア国物語」「十二国記」「聖戦士ダンバイン」「ゼロの使い魔」、「なろう」の異世界転生・異世界召喚ものは「異世界ファンタジー」。

という区分だ。

僕は前述の「ハイ・ファンタジー」「ロー・ファンタジー」の区別に基づいた「異世界ファンタジー」という語の使い方に慣れすぎていたので、最初ウッソーと思った。そんな定義使ってるのごく一部だろう……と。


が、twitterでアンケートを取ったところ、「ロードス島戦記は主人公が異世界に行かないので異世界ファンタジーではない」と考える人が結構な割合でいると教えられた。二度ビックリ。

f:id:cherry-3d:20160201004001p:plain

twitterのアンケートは現時点では集計中なので画像を。本日零時半前後の時点で、20%が「『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない」と答えている。)

私見だが、「異世界ハーレム」や「異世界チート」と言った、主に「なろう」系小説を中心に使われるジャンル名における異世界という語は、そのままの「ファンタジー世界」というより「異世界(にいって)ハーレム(をつくる)」「異世界(にいって)チート(する)」という意味で使われており、そこから前述の(20%のほうの)「異世界ファンタジー」という語の使い方も生まれたのではないかと思う。

別に僕は、ここでどちらの「異世界ファンタジー」の使い方が正しいかみたいな話をしようというわけではない。(ただ、こう「ファンタジーが異世界なのは当たり前であって、わざわざ異世界とつけるからには現代から異世界への移動があるはず」というような意見については、いやいや異世界じゃないファンタジーあるでしょ! 『魔女の宅急便』とか『R.D.G』とか『Kanon』とか現代が舞台のファンタジー、いっぱいあるでしょ! とちょっとだけ思うけど……)。

とにかく、僕が10代20代、そして今の今まで自信満々で使っていた「異世界ファンタジー」とは、また異なる定義の「異世界ファンタジー」という言葉が今けっこうな範囲(おそらくは「なろう」ユーザー中心ではないか)で使われているのは事実らしい。それにとにかくビックリして、その驚きを思わず書いてしまったのがこの記事なのである。

 

でこれからが本題だが、我々は今後、異世界ファンタジーという語を使うときには、少し注意が必要かと思う。うっかり確認を怠ると、

編集者様「前島さん、ライトノベルの名作異世界ファンタジー特集やりますんで五本ぐらい選んでレビューしてください!」
僕「へへえ、全身全霊をかけてレビューして参りました、どうぞお納めください!」
編集者様「ハァ? 『ロードス』に『スレイヤーズ』に『ルナル』に『オーフェン』に『爆れつ』って、一個も異世界ファンタジー入ってないじゃないですか、勘弁してくださいよ」
僕「ア、アイエ!?」

編集者「異世界ファンタジーって言ったら『日帰り』や『MAZE』みたいなヤツです!」

なんてことにもなりかねないのだ。コワイ!


ロードス島戦記』は異世界ファンタジーだと僕は思う。
けれどもどうやらそれは「それが他人の同意を得られるとは限」らなそうなのだ……。

 

www.ebookjapan.jp

amzn.to

amzn.to

最近読んだ不動産小説&コミック3冊

 実はここのところ引っ越しを考えているのだが、賃貸サイトというのは恐ろしい時間泥棒である。物件情報を検索しているだけでものすごい勢いで時間が流れていく上、本人的には「引っ越しの準備」のつもりなのでブレーキがきかない。あと、不動産を題材にした小説とかコミックとかをよく読むようになった。以下紹介したい。

(肝心の引っ越しの準備はもちろん全く進んでいない)

成田名璃子『不動産男子のワケあり物件』

amzn.to

不動産男子のワケあり物件 - 電子書籍・コミックはeBookJapan

 就職難で(不可抗力気味に)学歴を偽って不動産業者の内定をもらった大学生が、入社前のアルバイトとして街の不動産(儲け第一主義でブラック気味)で働くことになる、というもの。わざとダメダメな物件を最初に見せ、そこそこの物件、最後に本命の物件を見せるというようなテクニックからはじまって不動産業界の実体を描く。

 なんつーか、不動産業界怖い。引っ越ししたくない、と思わせてくれる作品である。やはり最強と噂されるUR賃貸かを頼るべきなのか。でもURは単身者向けの物件あんまりないんだよなー。

■マキヒロチ『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』 

amzn.to

不動産男子のワケあり物件 - 電子書籍・コミックはeBookJapan

 自分はもともと中央線沿線に暮らしていたもので、やはり中央線と言ったら「吉祥寺」という印象と憧れが強い。そんな吉祥寺信仰に囚われた依頼人に対して、姉妹二人組の不動産屋が東京のレアな街を紹介してくれる……というマンガである。↑を読んだ後だと、ああこの不動産屋が実在してくれたらって思う。
 自分はこれ読んで、錦糸町方面もいいかなぁと思うようになりました。
 あと五反田を紹介された自分探し系OLの子は50%ぐらいの確率でゲンロンカフェに入り浸るようになって今頃はてなブログを始めてると思います。

■池辺葵『プリンセスメゾン』

amzn.to

プリンセスメゾン - 電子書籍・コミックはeBookJapan

 こっちは木造アパートに住み、居酒屋の店員をしながらマンション購入を夢見る無口な女の子を主人公に賃貸でなく分譲マンションを巡っていく話。無論、今の私には分譲なんて夢のまた夢なわけですが、売る側買う側、様々な階層に生きる女性たちがマンションで一時交差する群像劇としてなかなか楽しく読めました。

 

というわけで他にもオススメな不動産作品がありましたら教えてください(そんなことより引っ越しの準備を真面目にしろ)。

 

 

 

男の娘力士、カエル様のコーチになる――城平京『雨の日も神様と相撲を』

相撲好きの両親の元に生まれ相撲漬けの毎日を歩んできた中学生、文季。

だけども彼は、体格に恵まれないどころか、女の子に間違えられてしまうような華奢な体格と美貌の持ち主だった……。

男の娘が、相撲。
華奢な男の娘がフンドシ……じゃないマワシ一丁で、ガタイのいいアニキたちと相撲!
わぁい!

……的な壮絶に不純な動機で読み始めた城平京先生の、『雨の日も神様と相撲を』なのだけど、これがとんでもなく面白い"相撲伝奇SFミステリ&男の娘×怪力長身女青春ラブコメ"だった。
その興奮も収まらぬままこれを書いている。
なんだそれはと言われそうだが、本当にそういう要素が全部入ってるんだからしょうがない。

物語は、そんな主人公が両親を交通事故で失ったことで叔父に引き取られることとなり、とある小さな田舎の村へと引っ越してくるところから始まる。知る人ぞ知るブランド米の生産地して栄えるその小さな村は、カエルを神様として信仰し、そのカエル様に捧げる神事として盛んに相撲が執り行われている、奇妙な村であり、転入早々、早速文季も取り組みを挑まれる。

”そっちのバランス感覚と上半身の力に自信があうから、腰を高めにして取り組む癖があるのはわかった。僕は見た目以上に力のある押しができる。立ち会いから正面から受けてくれれば簡単にそっちの体を浮かせ上下に揺さぶれると踏んでたんだ。土俵際に追い込めれば、不用意に寄り返そうと前に出てくるのまで”

……と語るように、体格差を補うべく、徹底的に理詰めの相撲をとる彼は、そのことで、あれよあれよと中学の、そして村の人々の、相撲コーチになっていく。そんな彼に、思いもかけない相手がコーチを頼んでくる。

カエル。

立って喋って相撲を取るカエル。
カエル様。
この村には、本当に、カエルの神様がいらっしゃったのだ。
そのトノサマガエルだのアマガエルだののカエル様たち、最近、村に突然、現れた余所者(外来種)のイチゴヤドクガエルに連敗しており、このままだとマジヤバイということで主人公に目を付けたのである。
かくして、主人公はカエル様に仕える巫女の一族であり、身長170センチで、”太っているとは感じなかったが肉付きはしっかりして、お尻が大きめ”なヒロインであるところの真夏とともに、カエル様たちのコーチになるのである。

体格の不利を補うべく、極めてロジカルな相撲理論を修めた主人公が、「立って喋って相撲を取るカエル様」なんて極めてファジーでファンタジーな連中のコーチになる。
このギャップがまず超面白い。しかも、それに対し「いやおまえらマワシとか締めてないし骨格も人間とは違うじゃん。とりあえずおまえらのことwikiで調べてくるから、それまで待て」と主人公は返すのである。
これは一体、ファンタジーなのかリアルなのか。まさしくマジックリアリズム

そして、さらにそこに、古事記に起源を持つ神事としての相撲という側面であったり、あるいは近隣で発生した謎の殺人事件であったり、そしてあるいはカエル様に仕える巫女が60歳を迎えると”カエルの花嫁”になるという伝承の裏に潜むグロテスクな真実であったり、相撲を愛しながらも体格という絶対の不利を持ってしまった主人公のコンプレックスであったり、あるいはそんな主人公と、170センチの怪力巫女・真夏ちゃんというまさに正反対なふたりの関係であったり、と様々な要素が入ってくるのだが、真に驚くべきは、それが文庫本一冊のうちに一個の物語として、きっちりまとまってしまってることである。主人公がまとめてしまうのだ。本当に。

「雨が細く降る中、日本家屋の縁側で、やけに小さな男子とやけに大きな女子が並んで座り、ホットケーキを食べていて、その目の前では無数のカエルが相撲を取ってる。これをこの世のことと思える人はどれくらいいるだろうか」

 大きな女子、というのが障ったのか、真夏は素っ気なく言う。

「でも現実だから」

「そうだね。それが一番異常な気がするよ」

男の娘力士な主人公が、長身&怪力ヒロインとのかけあいしつ、強豪海外カエル力士に負けそうな日本カエル力士たちを鍛え、カエル神様に仕えるヒロインを土地の呪縛から解放し、近隣で起きた殺人事件の謎を解き、かつ自分が相撲を取る意味を見つけ出し、そしてカエル様の正体に迫り、そしてなんだかんだいってヒロインと、ボーイミーツガール。つまり"相撲伝奇SFミステリ&男の娘×怪力長身女青春ラブコメ"

スポーツものの熱さ、ミステリの論理性、伝奇小説のおどろき、青春小説の甘酸っぱさ、ラブコメの笑い。それらがきっちりひとつの物語になって、わずか一冊の文庫にまとまっている。なんでそんなことができるのかわけわかんない。けど、ほんとうにそうなんだから、しかたない。

いやー、本当に、面白かった。なので、みなさんにも是非、読んで頂きたい。

そしてこう、ベストセラーになった暁には、できることなら女相撲&男の娘つながりで上連雀三平先生にマンガ化していただきたい、とそう思った次第であります。

www.ebookjapan.jp

amzn.to

『ソードアート・オンライン プログレッシブ』はいいぞ。

前島賢ラノベ以外と書いたな。アレは嘘だ。今日は『SAO』のスピンオフ、『ソードアート・オンライン プログレッシブ』の話をする。だって「本棚晒し」で取り上げたくても『SAO』シリーズぜんぜん電子化しないんだもん。

さて、よくライトノベルでは日常系や萌え四コマ的な作品をやるのは難しいと言われ、それはそのとおりだと思う。けれど、一方、なろう小説のMMO色の強いヤツの、モンスター倒してレベルあげてスキル解放して装備新しくしてクラスチェンジ先考えてー……みたいな、ほとんどゲーム実況みたいにだらだらディテールが解説されている箇所の「別にたいして面白いわけじゃないけど、まあ、なんか読んでしまうので面白いのだろう」って感じって、ゆるーい萌え四コマをつらつらだらだら読んでいる時と同じような脳波が出ている気がする。

結論、VR-MMO系「なろう」小説は日常系(異論は認める)。

で、その上で『SAOP』。『SAO』本編第1巻におけるデスゲームの舞台となった積層世界アインクラッド。キリトくんたちは長い時間かけて75層までを攻略し、無事に現実へと帰還したわけですが、本書『ソードアート・オンライン プログレッシブ』は、じゃあ具体的にどんな感じだったのよ、ということで1巻・1層ずつ攻略模様を描いていく、そのままやると全75巻かかりますけど川原先生大丈夫すか? こないだ出た4巻でまだ4層ですよ、ってシリーズなのですが、これがまあ、上で書いたMMO小説=日常系ラノベ成分が実によい感じで出ておりまして、本当に「温泉ような、いいあんばいさ」「実家のような安心感」に満ちた小説なんです。『SAOP』はいいぞ。

『アリシゼーション』編とかもなんか大変なことになっててキリトくんも最早、何がキリトくんじゃ! さんをつけろよデコスケェ! という感じになってると思うんですが、こっちだと、そういう英雄キリトさんじゃなくて、

・ただのMMO-RPGマニアで厨二力高めのゲーム脳少年

ぐらいな感じなんですよ。
で、これに、ゲーム知識皆無ゆえにむしろ常識人な我らの正妻アスナさんがパートナーとしてくっついて的確なツッコミをいれながら、ゲームを攻略していく。ほぼシリーズ通して「キリトくん&アスナさんの夫婦漫才で楽しむゲーム実況」みたいなノリです。

何が良いって、つまりここで新たに書かれる出来事はすべて本編ではカットされたものなわけです。つまり、別に読んでも読まなくても「SAO」の本筋には何も関係ないことしか起らないし、起ってはいけないない。「何も起きないことが約束されているシリーズ」。それが『SAOP』。
しかし逆にそのことでキリトくんやアスナさんたちは圧倒的な自由を得ている。生き残るのわかってるので、別にデスゲームの恐怖とかもほぼない。本編じゃないから進めるべき本筋もない。語るべきテーマも消化すべき伏線もほぼほぼない。「物語」という義務から解き放たれたキャラクターたちが、ほとんど二次創作なみの気楽さで、ただただゲームを攻略しているだけの小説。この「だけ」感、この「何も起ってない感」、「読まなくても別にいい」感が、むしろ超よい
(本気で褒めてますよ、念のため)。
(そして、川原先生は大変小説がうまいので、本来、物語が発生しないところをちゃんとエンターテインメントとして起承転結やサスペンス、カタルシスをつくっていて、物語もちゃんと面白いです。念のため、その2)。

なんかこうラノベ読みたいけど波瀾万丈すぎる冒険ものとか疲れて読みたくない。号泣必死の感動ものとかも勘弁。しかしなんかラブコメって感じもしない。そんな時に超おすすめなのが本作。愛すべきキャラクターたちがそこにいれば、別に劇的な何かなんてなくたって……いや、むしろないからこそ、楽しめる。そういう意味で私的に『ソードアート・オンライン プログレッシブ』は日常系ラノベの最高峰であります(異論は認める)。

あ、あとですね、「物語とか割とどうでもいいんでSAOだらだらMMO-RPGしてたい」という本書と同質の欲望をかなえてくれるものに、ゲーム版の『ソードアート・オンライン―ホロウ・フラグメント―』があります(Vitaですが今度PS4でもリメイクされるのでそれを待つのも可)。
MMO-RPGの自分以外のキャラをNPCにして、ひとりでプレイできるようにした「ソードアート・オンライン」疑似体験ゲームという感じで、道を歩いてると「キリトくん暇だったらレベルあげ手伝ってよー」とかアスナさんに声をかけられたり、アスナさんと「スイッチ!」したり、アスナさんが「スタンさせたよ!」したところにスターバーストストリームを炸裂させたり、えんえんレベルあげたり、レアアイテム掘ったりできます。あ、アスナさん以外にもリーファとかシノンとかともちゃんと冒険できます。でも僕はアスナさんが一番好きです。

こちらからは以上です。

amzn.to

amzn.to

 

 

『白鯨との戦い』は白鯨との戦いの映画ではなかった

というわけで『白鯨との戦い』観てきた。

wwws.warnerbros.co.jp

私は鯨が好きだ。なんと言っても「地上最大の生物」だ。デカイ生き物に憧れない男の子はいないだろう。
そんな奴と海の男たちが戦う海洋冒険怪獣映画を期待して観に行ったのだけど、この映画の主題は実はそこではなく、巨大なマッコウクジラに船を沈められたあとの壮絶なサバイバルこそが、根幹であった。
しかしこう私は思いきり『白鯨との戦い』というタイトルに引きづられ、ほとんどノー情報で観に行ってしまったせいで、そうしたドラマについては、「あれ、これこういう映画なの……? え、え……?」という混乱が大きく、ちゃんと受け止められた感じがしない。原題の"In The Heart of sea"というダブルミーニングを含んだタイトルのままがよかったと思う。

そんなわけで、一本の映画としての評価はどうだったか、と言われるともう一回観てこないとできないのだけど、シーンシーンでは大変よい場面があったので、かなりおなかは一杯になれた。

まず第一に帆船って実に緻密な機械なんだなって驚き。風に帆を受けて走るって字面だけだと至極単純そうだし簡単そうに聞こえるんだけど、実際には一本のマストだけでもいろんな角度の帆があって、それのどこを広げて、どれを畳むかをきっちり見極めないといけないし、もちろん刻一刻と変わる天候に合わせて、操作しないといけない。揺れる海の上で――最悪の場合、嵐の中で、何十人もの男たちが、何百本という数のロープを操って、命がけでその帆を畳んだり開いたりする。うおう、帆船というシステムはこうやって動いているのかぁ、と素直に感心しておりました。白鳥士郎先生の帆船ラノベ『蒼海ガールズ!』とか、きっとこれ観てから読み返すと全然違うんだろうなぁ。

あと捕鯨シーンの細かなディテールとかね。煙突が火を噴く、という表現とか、うお、こんなにデカイ獲物を捕ると、解体はダンジョンものになるのか……という。

そしてやはり主役怪獣の白鯨。超デカイしヤバイし超格好良かったです。正直できれば2時間ずっとコイツが泳いで暴れるところが観たかった。デカイやつは強い、というシンプルな脅威。そしてその流線型の体で自在に海を泳ぐ美しさ。執拗に主人公たちを脅かす執念深さ、恐ろしさ。あるいはアップになった時の傷だらけの肌が無言で物語る時の蓄積。ああもう、ライバルの不在が惜しい。主人公たちの乗る帆船では役者不足だった。マジで瞬殺でするよ。ほとんど戦いになってない。コイツの強さを描ききるにはライバル怪獣がどうしても必要だった。大ダコとか大イカとか、あるいはもう一匹の巨大鯨とか、愚かな人類の帆船をダース単位で沈めながら太平洋怪獣決戦を繰り広げて欲しかった。そう、なんだったら、ノーチラス号ニキが出てきてくれたって私はいっこうに構わなかった。白鯨によりエセックス号を沈められて漂流する船乗りたちを救出した謎の潜水艦。「私のことはエイハブ船長と呼べ。この船は軍艦ではないのだからな」そうして深海を舞台に起る超生物と潜水艦の戦い。だが白鯨はノーチラス号すらも圧倒し……「そういう映画じゃなねーから、これ」というのはわかっているのだけど、けれどもそんな妄想してしまうぐらい、白鯨は強く、デカく、美しかったのです。

 

amzn.to

www.ebookjapan.jp

amzn.to

 

飯嶋和一『汝ふたたび故郷へ帰れず』――『クリード』で滾った人にオススメの傑作ボクシング小説

クリード』を観た。素晴らしかった。ボクシングは、何故、人をああも熱くさせるのか。俺もトレーニングしたりリングに上がったりしてみたくなったが、俺なんかがリングに上がったらまず確実に死ぬし、そもそも突然走ったり腕立て伏せするだけでも危険そうなので、かわりに『汝ふたたび故郷へ帰れず』を読んだ。個人的には、最高のボクシング体感小説である。

江戸時代にグライダーを作って空を飛んだ鳥人備前屋幸吉を描く『始祖鳥記』や史上最強の横綱を主人公にした『雷電本紀』など、書く小説書く小説全部、傑作な飯嶋和一先生の初期の作品。

ストーリーは、一度はリングを降りて酒におぼれたプロボクサーが、故郷の孤島に里帰りした先で、長年付き合った老トレーナーの死を知り、再びリングに上がるというシンプルなもの。
文体も、主人公であるボクサーの木訥な人柄をそのまま現したような、最低限の形容詞だけで成り立ったような文章で、いわゆる美文では全然ない。むしろ素っ気なささえ感じる。

じゃあそんな小説の何処が面白いのかというと、この小説、一切、省略しない。起ったことを全部書く。ボクサーが普段どういう練習をするかとか、減量の時何を食うかとか、練習以外の仕事の時は何してるのか、とか。全部克明に書いてある。
もう一度繰り返すけど、一切省略しない。起きたことを全部書く。
試合についても。
マジで。
1ラウンドの間に、リングのなかでどんな駆け引きがありどんな動きがあり何を考え何を感じたか、3分間――180秒×最後のラウンドまでの出来事が、決着つくまで全部書かれてる。本当に全部だよ。

『タカシ。落ち着けよ。頭振って。頭振って』ヤツのコーナーから声が飛んだ。ヤツは肩を揺すって混乱している自分のリズムを立て直そうとしていた。ヤツも左ジャブで追うことを思い出したようだった。一つ目のジャブはバックステップで後ろへ下がり、二つ目のジャブの時踏みとどまって左へダッキングしながら右のロングフックをクロスで合わせた。ヤツのバランスが崩れたところへ左フックをテンプルに打ち込んだ。そのまま追えないことはなかったが、右をのばして距離をとった。ヤツがまた頭に血が上り、左フックを振るってきた。次に大きな右を持って来るのは目に見えていた。わざとバックステップで下がり左をかわして、ヤツの右肩が一瞬下がるのに合わせ、左ストリートを真っすぐ突き出した。同時に打ってもフックよりストレートの方が速く当たる。カウンターでヤツの顔面を捕らえた。また深追いせず、そのまま距離をとって、顔面へ速いジャブをおれは送り、足を使って左へ移動し続けた。
飯嶋和一『汝ふたたび故郷へ帰れず』)

 

これ、本作の試合シーンのほんの、ほんの一部。序盤も序盤の、1ラウンド目。全体はこの数十倍。この調子で決着がつくラウンドまで、起ることを全部、ありのままに書いてある。最後まで、この密度で。延々。マジだよ。マジで。
僕今、このシーン書き写しただけで息が詰まって死にそうなのに、一体、どんな経験して、どんな観察眼があって、それより何より、どんな体力があれば、これだけの密度の戦闘シーンを延々数十ページにわたって書き続けられるのか。意味がわからない。すごすぎる。信じられない。リングに立って戦い続けるというのがどういうことかというのを文章の密度でもって思い知らせてくれるボクシング小説。超オススメ。で、もしこれを読んで気に入ったら、飯嶋和一先生の本は全部読むと良いと思う。全部面白いので。

www.ebookjapan.jp

amzn.to